服は遠目からもはっきりと質のよさがわかる真っ白なコットンの開襟シャツに白の細いストライプが入ったミニスカートである。ノースリーブから出た腕は華奢で、ほんの少し日に灼けている。キラッと何かが光った。きっと細いブレスレットをつけているのだろう。スエードの紺色のベビーシューズを素足ではいたその白と紺の姿は、バンと大きな胸とお尻で閑歩するイタリア人の中にあって際立って清々しく、可憐な印象だった。「あの人の清潔感って、イタリア人のセクシーさに勝っているね……」隣で友人が呟く。私たちは同時に同じことを悟っていた。それはまず自分の肌があって、次にそれを生かす服を選ぶべきだということだった。イタリア人のまねをしてピチピチのワンピースや派手なオレンジ色を着ることではなく、白いシャツで清潔に肌を出す。そんな方法もあるのだと、このミラノで日本の女性から教えられたことに私は素直に感動していた。結局その夏、私も友人も肌を出す服は着ないことに決めた。自分の持ち味はもっと違うスタイルで生かせそうだと気づいたからだ。友人はさっそく白い麻のノースリーブのシャツを買い、それにたっぷりとしたサマーウールのグレーのパンツ、茶のクロコのベルトというコーディネイトで現れた。ベルトのバックルとイヤリングを銀で揃えて、とても涼しげ。そして何より無理がない。彼女自身が安心して着ていること、自信に満ちていることが、その着こなしをよりきれいに見せているのだ、と私には思えるのだった。