三菱地所が進める丸り内のブランドストリート化

2011.04.07

明治初期には、ロンドンのような近代的オフィスビルが多かったことから「一丁倫敦」と呼ばれ、アメリカ風の近代ビルが増えた大正時代にはニ丁紐育」と呼ばれていた丸の内もまた、ブランドエリアに成長した。昔にならった呼び名をつけるならば、コ丁欧米高級印」になるだろうか。このブランドエリア化を推し進めているのが、丸の内の大家である三菱地所だ。オフィス街の代名詞として入居希望者が跡を絶だなかった丸の内も、一九九〇年代の後半から、企業や店の退出、撤退が続き、三菱地所は空き室率の増加に悩んでいた。「丸の内のたそがれ」とも祁楡される状況から抜け出して、何とか街を活性化させようと、三菱地所が出した答えがブランドショップの導入だ。三菱地所の狙い通り、二、三年前から丸の内の仲通り(丸ビルから有楽町駅とを結ぶIキロ弱の通り)にはブランドショップが軒を連ねるようになった。商業地としての華やかな歴史は銀座に劣るものの、道は美しく、高級感もある。三菱地所側の熱心な誘致活動と、銀座や表参道に次ぐ第三の路面店エリアを欲していたブランド側の狙いとが一致した結果である。ただし、三菱地所の計画が軌道に乗りはじめるのは、新装丸ビルの開業以降だ。それまでは、仲通りを歩く人は少なく、豪華なブランドショップだけが目立っていたが、丸ビルオープソ後は状況が一変した。全国から丸ビルに観光客が押し寄せ、丸ビル観光のついでに仲通りをそぞろ歩く人が激増した。仲通りに店を構えるアメリカの鞄ブランド、トウミではこう話していた。「開店が丸ビルオープソの一年前だったので、最初の一年は売上面では苦労しましたが、今は順調に伸びています。客層も変わりましたね。ビジネスマンやOLのほか、主婦の二人連れも増えました」丸の内は、毎年コー月二四日から元旦にかけて、ミレナリオ(壮麗な光の彫刻)を実施している。二〇〇万人以上の見物客で混雑するミレナリオの期間は、あまりの混雑で店の実入りは少ないそうだが、「ブランドストリート丸の内」を見物客に印象づける効果は高い。実際、銀座や表参道・青山地区に大きく遅れを取っていたブランドストリートとしての知名度も右肩上がりだ。日経産業消費研究所の調べでは、丸の内で海外ブランド品を買い物したいと答える人の割合は、二〇〇二年から二〇〇三年にかけて10ポイント以上も上がっている。この調査では、銀座並木通り、銀座中央通り、紀尾井町、青山・表参道周辺、丸の内の五ヵ所について尋ねているが、一番「買い物したい」と答えた人が多かったのは、銀座並木通り。これに銀座中央通り、青山・表参道周辺、丸の内が続き、丸の内は青山・表参道周辺を急追している。丸の内のブランドストリート化を図る三菱地所のプランは、着実な成果を上げているといえそうだ。